第2章 津軽海峡を越える

2025年12月14日

こむぎは約300キロメートルの距離を走り抜いて、函館のフェリーターミナルにたどり着いた。目の前には津軽海峡が広がっている。

「しばらく北海道とお別れだ」かすかな興奮にこむぎの胸は高鳴っている。

アナウンスに従って乗船を開始する。潮風がこむぎのバンダナをなびかせた。

こむぎはフェリーの車両甲板にバイクを固定した。波のうねりに合わせて、鉄板の床がかすかに軋む。分厚いロープでしっかり留められたKLXが、それでも不安げに身じろぎするたびに、こむぎの胸の奥にも似たようなざわめきが広がっていた。

いよいよ東北だ。

こむぎは、ゆっくりと甲板に出た。外気が急に顔にあたる。風に混じって、わずかにフェリー特有の鉄と塩の匂いが鼻をつく。それがなぜか心地よく感じられた。

視線を前に向けると、白波を割って進む船首が津軽海峡を突き進んでいた。

「……ついに行くんだなぁ」

誰にともなく、こむぎはそう呟いた。

風が返事をするかのように耳元を通り抜けた。北海道と本州を隔てる海は、予想よりも穏やかだった。波のきらめきが、こむぎの瞳に反射して小さな光を宿す。

旅の始まりは、決して派手ではない。それでも、何かが確実に変わったことを、こむぎは肌で感じていた。


フェリーの客室に入ると、そこにはライダーたちが集まっていた。

革ジャンを着た中年の男性、ワイルドなヒゲをたくわえた若者、そして旅慣れた装備に身を包んだカップル――いずれも、各地を走り込んできた者たちの顔つきだった。

こむぎは、黒のライディンググローブを外して軽く会釈した。身長は15cmにも満たないが、その立ち振る舞いは落ち着いており、堂々としていた。


「あら、小さなお客さんだね」

ひとりの女性ライダーがにっこりと笑いかけた。

「旅のライダーか?」

レザージャケットの中年男性が、缶コーヒーを傾けながら尋ねてくる。

「はい。こむぎって言います。東北を回ろうと思ってるんです」

その場にいたライダーたちが、驚いたように顔を見合わせた。

「へぇ……まさか、バイクで? 一人でかい?」

「バイクはKLX250。小型化された専用車です。札幌から来ました。函館まで自走で」

「札幌から……!?」

若者が目を丸くした。

「しかも一人旅って……すごいな。何がきっかけだったんだ?」

こむぎは一呼吸置いてから、静かに語り始めた。

「お父さんの卒業論文を読んだんです。大学で『東北地方に伝わるミステリー』について書いたもので……。読んでいたら、どうしても、自分の目で確かめたくなって」

「ミステリー?」

「キリストの墓とか、遮光器土偶、大湯環状列石。あとは座敷童や遠野のカッパ伝説とか……。信じがたい話ばかりだけど、実際にそれが現地に"残されている"という事実があるんです。こむぎは、それを確かめたい」

レザージャケットの男が唸るように言った。

「ロマンだな……。誰かが、何かを残した。それを探すってのは、旅の醍醐味だ」

こむぎは頷いた。

「こむぎは、証拠が見たいんです。伝説が嘘か本当かじゃなくて、なぜそれが語り継がれたのか。どんな人が、どんな思いで残したのか――"真実"は、その中にある気がして」

若者が感心したように笑った。

「……こむぎ君、ちっちゃいのにすごく大人だな。なんだか、俺もそんな旅がしたくなってきたよ」

和やかな笑いが起こった。こむぎは、輪の中に自然と溶け込んでいた。


夕方、日が傾き始めた頃、こむぎは再びデッキに出た。

海の向こうに、うっすらと陸影が見える。かすんだ水平線の向こうに、三角形の白い塔――アスパムが、陽光を浴びて輝いていた。

「……見えてきた」

胸がどくんと高鳴る。青森。いよいよ、本州に降り立つ。

こむぎの目にはアスパムのシルエットが、まるで巨大なピラミッドのように見えた。それは、これから進むべき道を、そっと示しているようだった。

下船準備のアナウンスが響き渡る。車両甲板でエンジンが一斉に唸り始める音が聞こえる。

こむぎもまた、自分のKLXの元へと向かった。

「よし……始めよう」

小さな手でセルを回す。

「キュル……ブオォォン!」

エンジンが目覚める。その震えが、こむぎの体の奥へ、心臓の鼓動と重なるように伝わってくる。


青森の空は澄んでいた。港の空気は乾いていて、けれどどこか湿り気を含んだ独特の匂いがあった。潮と鉄と土の匂い。

ランプウェイの向こう。いままさにタイヤが新しい大地に触れようとしていた。

探すんだ、答えを。

もしかしたら、答えは見つからないかもしれない。けれど、「知りたい」と願う心がこむぎを突き動かす。それは、誰に教わったわけでもない。ただ本能的に、魂の奥から湧き上がるような衝動だった。

「さあ、行こう。ミステリーの真ん中へ」

タイヤが、青森のアスファルトを踏んだ。

その瞬間、こむぎの旅は、本当の意味で始まった。


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