第4章 土偶は夜に目を覚ます
2025年10月30日
風が少し強まった。
広大な平野のなかに、一筋のアスファルトがまっすぐ続いている。こむぎはその路肩にバイクを停め、エンジンを切った。カワサキKLX250は、今日もよく走ってくれた。ライムグリーンの車体に積もった虫の残骸と長旅の埃。それをタンクの上で指先ですっと払うと、ふぅと小さく息を吐いた。
ここは、青森県つがる市。旧・木造(きづくり)町。
名前の響きに、どこか古代の木霊を感じるこの土地は、縄文時代晩期の一大拠点「亀ヶ岡遺跡」を有する場所だ。
こむぎの茶色い体毛に陽光が差し、遠くで稲が風に鳴っている。季節は晩夏。空は高く、雲のかけらがまるで古い絵巻の断片のように散っていた。
ここに、あの土偶がいる。
こむぎの瞳が向いた先には、整備された遺跡公園が広がっていた。いくつかの竪穴住居が復元され、その中央、まるで王のように鎮座するレプリカがひときわ目を引いた。
遮光器土偶。
教科書に載っている奇妙な像。それは実物大で再現されていたが、想像以上に大きく、そして――生々しかった。
「……やっぱり、すごい造形だね」
ゴーグルのように膨れた眼、異様にくびれた胴体。太く短い四肢は、関節の構造をはっきりと感じさせる。まるで……生物というより、機械めいた印象を受けるのだった。
こむぎは、しばらく言葉を失ったまま、その姿を見つめていた。それは、単なる祈りの像なのか。それとも、何か"別の存在"を模したものなのか――。
こむぎの脳裏に、ある記憶がよみがえる。お父さんの書斎、古びたファイルのなかに挟まれていた卒業論文。そこには、こう書かれていた。
遮光器土偶は、宇宙服をまとった"来訪者"の姿ではないか。
大胆な仮説だったが、こむぎはどこか、それに惹かれるものを感じていた。なぜ、縄文人がこんな未来的な造形を思いついたのか。なぜ、あれほど技術の限られた時代に、あんなにも精緻で機械的な意匠が可能だったのか。
風が再び吹いた。稲穂の波の向こうに、黒い山影が小さく浮かんでいる。西日が傾き、世界は金と橙のグラデーションに染まりつつあった。
「……黒又山。君も見てるのかな」
つがる市から西南方向、秋田県鹿角市にあるその山は、古来より奇妙な伝説に包まれていた。黒又山――別名「黒又ピラミッド」。人工的な階段状地形を持ち、何度となく「遺跡の可能性」が指摘されてきた場所だ。
そして今、こむぎの目の前にあるこの亀ヶ岡遺跡と、その黒又山は、地図上で一直線に結ばれているという。
偶然だろうか?
それとも……意図的な配置?
こむぎは、遮光器土偶のそばに立ち、そっと耳を澄ませた。風の音。虫の声。遠くから響く、トラクターのエンジン音。そのすべてが、まるで土偶の瞳を通して聞こえてくるような錯覚。ふいに胸の奥がざわついた。
――ナスカの地上絵。バールベックの石柱。メキシコのテオティワカン。世界各地に残された"彼ら"の痕跡。そして今、東北の、この静かな平野にも。
こむぎの胸が、高鳴った。
「……トンデモって、笑われるかもしれないけどさ」
ギィィ……
微かな軋み音が、風に乗って耳に届いた。音の主は、広場の奥――柵の向こう、ひときわ大きな樹の根元だった。こむぎはバイクのシート下から懐中電灯を取り出し、そちらへと歩み寄った。
そして 見つけた。
そこには、石がいくつも積まれた小さな円形の場所があり、まるで"祈りの場"のような雰囲気をたたえていた。その中央。土にわずかに埋もれるように、小さな土偶の破片がひとつ、置かれていた。誰かが、そこに"戻した"ようにも見えた。
「……これは……」
手を伸ばそうとしたが、こむぎはためらった。何か、触れてはいけない気がした。
風が吹いた。その瞬間、こむぎの胸に、一つの言葉が浮かんだ。
――《祈りは、言葉よりも先にあった》――
誰かが、そう語った気がした。
ノートを開き、ペンを走らせる。
《言葉が生まれる前、人は"かたち"で記録を残した》
《遮光器土偶は、神の象徴ではなく、目撃された"何か"そのものだったのではないか?》
《夜に目覚める像。眠る者を見守る存在。あるいは、彼ら自身が……今も、どこかで》
こむぎは、レプリカの土偶をもう一度見つめた。
「……君たちは、本当は夜に目を覚ましてるんじゃないの?」
返事はない。
けれど風の向こうで何かが動いたような気がした。
「こむぎも……聴いてるよ。夜の声を」
こむぎは、そっとバンダナを整え、立ち上がった。
空はすでに完全な夜の色。群青から濃紺へ、そして闇へ。遠くで虫の声が鳴き、星がひとつ、またひとつと顔を出していく。バイクのエンジンに火を入れる。深く、静かに唸る音。ハンドルを握る手に迷いはなかった。
「謎は……終わるどころか、ますます深くなってきたね」
こむぎは微笑みながら、バイクのアクセルを軽くひねった。遮光器土偶の"眼"が静かに見送っていた。
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