第11章 沈黙のあとで
2025年11月09日
こむぎが家に戻ったのは、それから三日後の夜だった。 長い旅の埃を落とし、砂を浴び、ようやく自室の床に腰を下ろした。部屋は出発前と何ひとつ変わっていない。 壁の地図。赤いピンと絡まる糸。旅の途中で増えたはずの答えは、どれも形を持たず、胸の奥に沈んでいた。
こむぎは、無意識に胸元へ手を伸ばす。
――ない。
いつも確かに感じていた、あの微かな冷たさ。 鼓動と重なるような静かな存在感。
それが、跡形もなく消えていた。
「……やっぱり」
驚きはなかった。 むしろ予感に近い感覚を静かに肯定する。
こむぎはリモコンに乗っかってテレビをつけた。
画面には、見慣れたニュースキャスターの硬い表情。 背景には、ぼかされた研究施設の映像が流れている。
『次のニュースです。政府関係者への取材で明らかになったところによりますと、近年発見された"未知の金属"について、軍事転用を視野に入れた極秘研究が進められていたことが分かりました』
こむぎの背筋が、わずかに強張る。
『しかし、その研究の中心となっていた鉱石が、本日未明、保管施設から完全に消失していたことが確認され――』
キャスターの声が淡々と続く。
『監視カメラに異常はなく、破壊や侵入の痕跡も見つかっていません。関係者は「物理的に説明できない現象」として調査を続けています』
画面が切り替わり、専門家のコメントが流れる。
『この金属は、既存の物理法則では説明できない反応を示しており、もし兵器化されていれば、国際的な緊張を一気に高めていた可能性があります』
こむぎは静かに息を吐いた。
「……間に合ったんだ。こむぎを襲ってきたのは、日本政府だったのかな…」
その瞬間、スマホが震える。 表示された名前は関谷教授だった。
「……こむぎくん、見たかい?」
「はい。今ちょうど」
短い沈黙。
教授の声は、どこか力が抜けていた。
「僕のところにあった鉱石も消えたよ。保管庫ごと、何事もなかったようにね」
「驚きませんでしたか?」
「正直に言えば……少し安心した」
電話の向こうで微かな笑い。
「あれは持ち続けられる"物"じゃなかったんだ。誰かが"使おう"とした瞬間、自分で姿を消す。そういう性質だったんだろう」
「関谷教授は、初めてこむぎと会ったとき、異変を感じませんでしたか」
「ああ、途中から何者かに意思を操られた感じがしたよ。でもその誤差はわずかさ。例えるならラジオのチューニングがズレても、雑音の中に放送が聞こえる感じだな」
「あの時、話したのは確かに関谷教授なんですね」
「正確には、僕と僕を操ろうとした緋緋色金の意思かな」
こむぎは、最終封印地の谷を思い出していた。
あの沈黙。あの問いかけ。――語るのか。沈黙するのか。
「封印は……終わったんでしょうか」
「いや」
教授は、はっきりと言った。
「形を失っただけだ。思想としては、まだ続いている」
「思想……」
「争いに使わない。誇示しない。記録しすぎない。 そして、問い続けることをやめない」
電話の向こうで関谷教授は静かに続ける。
「こむぎくん。あれが消えたということは、"次の選択者"は、もう金属じゃないということだ」
「……人、ですか」
「そうだ」
こむぎはテレビを消した。部屋に戻る静寂は、どこかやさしい。胸元には、もう何もない。 だが、不思議と喪失感はなかった。
「……持っていかれたんじゃない」
こむぎは小さく呟く。
「返したんだ」
窓の外では、夜風が街路樹を揺らしている。 遠い山々は見えない。だが、確かにそこにある。問いは物に宿らなくなった。記録にも、封印にも、金属にも頼らない。それでも――迷いながら、考え続ける者がいる限り、東北の沈黙は生きている。
こむぎは机に向かい、新しいノートを開いた。タイトルは、まだ書いていない。
書くか、書かないか。
語るか、沈黙するか。
その選択を先延ばしにできること自体が、かつて守られてきた"答え"なのだと、今はわかる。物語は終わった。だが問いは今日も静かに続いている。
続編あるかも







