第1章 東北ミステリーに導かれ
2025年12月14日
朝の空気は張りつめていて、ひんやりとした冷気が床のコンクリートを伝って足元から立ちのぼってくる。ガレージの隅では、古びた工具箱が控えめに存在を主張しており、天井から吊るされた裸電球が、まるで祈りの蝋燭のように淡い光を投げかけていた。
そんな静寂のなか、一台の小さなバイクのそばに、ひとりの旅人が立っていた。
その名は、こむぎ。
デグー。南米アンデス原産のげっ歯類。日本ではペットとして知られているが、このこむぎは少し――いや、かなり特別だった。
生後2年目。人間なら大学生にあたる年頃。だが、その小さな頭には、人間にも匹敵する、いや一部の人間を凌駕する知性が宿っていた。
IQ180。
それは、ただの数字ではない。こむぎの好奇心、観察力、推論能力、そして何よりも、未知を追い求める心がそれを裏打ちしていた。
けれど、こむぎにとって知能の高さは誇るべきことではなく、あくまで「見たいものを見るための道具」に過ぎなかった。世界の秘密を知りたい。真実を、自分の目と耳と足で確かめたい。そんな気持ちが、こむぎを突き動かしていた。
その日、こむぎはバイクの前で目を閉じていた。
カワサキKLX250。だが、もちろん人間用のフルサイズではない。これは、こむぎ専用に設計された、1/12スケールの"本物"だった。
開発にあたったのは、地元のモトワークスと、モデラーのSho_taroさん。お父さんの愛車をモデルに、エンジンから足回り、サスペンションの調整まで、すべて本格的に作り込まれていた。
燃料は高濃度バイオエタノール、ギアは自動変速に切り替え済み。体重300gのこむぎでも安全に扱えるよう、重心と出力バランスも最適化されている。
エンジンをかければ、しっかりとした野太い音を響かせる――まさに、リアル・マシンだった。
「……フロントサスOK、タイヤ圧良し、エアフィルター交換済み、チェーン張りも問題なし……燃料、満タン」
こむぎは、小さな声でそう確認すると、ミニサイズの工具を片付けていった。工具箱の蓋を閉めるとき、小さな背中に風が当たった。赤いバンダナが、首元でふわりと揺れた。
旅支度は万全だった。必要最低限の荷物しかないが、すべて機能性と耐久性を備えた逸品ばかりだ。
バックパックの中には、防水マップ、ハイドレーションシステム、非常食としてナッツ類、そしてコンパクトに折りたたまれた防寒シート。ライディングスーツの裏には、小さなGPSロガーが取り付けられている。遭難対策も完璧だ。
すべては、今日から始まる"旅"のために。
きっかけは、書棚にあった一冊の卒業論文だった。
ある日、こむぎは本棚の上に飛び乗った。ちょっとした拍子に、分厚いファイルが一冊、棚の奥から滑り出してきた。
表紙には、手書きの文字でこう記されていた。
『東北地方に伝わるミステリー考』
それは、こむぎのお父さんが、大学時代に書いた卒業論文だった。
ページをめくると、そこには信じがたい言葉が並んでいた。
・新郷村に眠るキリストの墓。
・遮光器土偶は宇宙人の姿か。
・大湯環状列石に刻まれた星の配列。
・黒又山の人工構造説。
・座敷童は時空の旅人か。
・遠野に実在したカッパの痕跡。
それらは、まるでファンタジー小説の一節のようだった。けれど、調査記録や文献、現地インタビューが綿密に添えられていて、こむぎの知的好奇心は否応なく刺激された。
「まさか……本当に、そんな世界が、この日本に?」
疑問が生まれ、やがて確信に変わっていった。
「……この目で確かめたいんだ」
こむぎは、小さくつぶやいた。
お父さんは、こむぎの旅の計画を黙って見守ってくれていた。バイクのメンテナンスも手伝ってくれたし、論文の補足資料までPDFで送ってくれた。無言の応援が、こむぎにとって何より心強かった。
お母さんは最初、反対していた。「そんな危ない旅、やめておきなさい」と何度も言った。でも、こむぎが心からこの旅を望んでいることを理解すると、静かに応援してくれるようになった。
「こむぎ、行っておいで。ただし、謎を追うのもいいけれど、ちゃんと帰ってくることが大事だぞ」
お父さんの言葉に、こむぎは大きく頷いた。
「もちろん。こむぎの旅は"冒険"じゃなくて、"探求"だからね。真実を知るために行くんだ」
こむぎはバイクにまたがり、ハンドルを握った。
セルを回す。
「キュルル……ブオォォン!」
エンジンが野太い声で唸り始めた。排気音がガレージの壁に反響し、どこか誇らしげだった。
こむぎはアクセルを軽くひねった。後輪がわずかに滑り、グリップを取り戻す。コンクリートの床を蹴って、バイクがゆっくりと前進する。
見送りの家族が、小さく手を振る。
こむぎは、振り返らなかった。ただ、心の奥で深く深く感謝していた。
ありがとう。こむぎを信じて、送り出してくれて。
👇【第2章に進む】








